情熱大陸「プロボクサー・村田 諒太(むらた りょうた)」5/28放送まとめ TBS

2017年5月28日放送のTBS情熱大陸は、プロボクサー・村田 諒太(むらた りょうた)さんに密着

 

“第2の竹原慎二”襲名なるか!? 元ロンドン五輪金メダリストのゴールデンボーイ

皆さんは、著名な日本人ボクサーといえば誰を思い浮かべますか?

 

例えば、これまでに3度WBCバンタム級の王座を獲得した驚異の実績を持つ「浪速のジョー」こと辰吉 丈一郎選手。

「日本人には無理だ」と言われたWBA世界ミドル級のチャンピオンに、若干23歳の若さで輝いた竹原 慎二選手など。

このお二方以外にも多くの選手がいます。

 

しかし、竹原選手が獲得した「WBA世界ミドル級チャンピオン」は竹原選手以降、日本人でまだ誰も獲得できてないのです。

そう考えれば、竹原選手がいかに凄いボクサーだったのかという事がわかりますね。

 

さて、少し前置きが長くなってしまいましたが、今日ご紹介するのはそんな竹原選手に続けと現在ミドル級で活躍。

さらに、5月20日に行われた「WBA世界ミドル級王者決定戦」で惜しくも敗れてしまい、チャンピオンの座は逃してしまったものの「まだ自分を強いと思った事がない。」と謙虚な姿勢を崩さず日々トレーニングに尽力するボクサー。

史上2人目となる世界チャンピオンを目指す村田諒太(むらた りょうた)選手(31)です。

 

 

村田選手はプロボクサーとしては珍しい経緯を経て、プロになっています。

5年前の2012年(平成24年)にロンドンで行われたロンドンオリンピックのアマチュアボクシングで、実に48年ぶりとなる日本人初の金メダリストとなり、一躍一世を風靡する存在に。

 

しかし、それ以降どこへ行っても「金メダルの村田」と呼ばれる事に違和感を覚え、翌年にプロに転向したという異色の経歴の持ち主なんです。

 

そんな村田選手のプロフィールと経歴は・・・

 

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村田選手のプロフィールと経歴

1986年(昭和61年)1月12日、奈良県奈良市にて公務員の両親のもと、3兄弟の末っ子として生まれました。

 

5歳から水泳を始め、奈良市立伏見中学校に在学中は陸上部に所属。

市大会の1500メートル走で4位の成績を残すなどの好成績を収めたものの、長続きせずに退部してしまいました。

 

少し話が前後しますが、実は村田選手のご両親は彼が小学校6年生の時に離婚しています。

その後、村田さんを含む3兄弟は父親に引き取られたため、村田さんは男手ひとつで育てられました。

しかし、生活は次第に荒んでいき、喧嘩に明け暮れる毎日を過ごした時期もあったようです。

 

そんな村田さんがボクシングと出会ったのは、中学時代の担任の先生の「お前、何かやりたい事は無いのか」という一言だったそうです。

先生のその問いに村田さんは「ボクシングだったらやる」と答え、それを聞いた先生の紹介で、地元の高校のボクシング部が主催する「週末ボクシング教室」に通う事に。

しかし、「練習がきつい」という理由で、わずか2週間でやめてしまいました。

なんだかんだいっても中学生ですので、友達と遊びたかったのではないかなぁと思います。

 

しかし、喧嘩は相変わらずでした。

そんな中学3年生のある時…

「こんな奴らばっかり相手にしていて一体何になるんだろう」と思った事が、本格的にボクシングを始めるきっかけに。

 

その後は、大阪・天王寺区にある「進光ボクシングジム」に入門し、高校は京都の南京都高等学校に進学。

 

アマチュアとして初めて出場した試合では黒星を喫してしまいました。

しかし、高校2年生の時に選抜・総体・国体の3冠を達成し、翌年も選抜と総体を制し、高校生にして驚異の5冠を達成しました。

 

高校卒業後は、東京・文京区にある東洋大学の経営学部に進学し、ボクシング部に所属。

2004年(平成16年)に行われた全日本選手権で初優勝を飾りました。

しかし、その後は数々のアマチュアボクシングの大会や世界選手権に出場するも、戦績は振るわず、2008年(平成20年)1月に行われたオリンピック・アジア1次予選においても準決勝敗退、そして同年3月の2次予選では初戦敗退。

したがって、同年開催された北京オリンピックへの出場権を逃した事をきっかけに、アマチュアを引退しました。

 

そして、同年の3月に東洋大学を卒業し、同大学に職員として就職し、そのかたわらボクシング部のコーチも務めていました。

しかし、2009年(平成21年)2月に起こった同大学の元ボクシング部員の不祥事をきっかけに、約1年半ぶりに復帰を決意。

 

2009年から2011年(平成23年)にかけて「全日本選手権」を怒涛の3連覇。

その強さを遺憾なく発揮しました。

そして、2011年にも「世界選手権」に出場しましたが、惜しくも銀メダル。

なお同選手権での銀メダル獲得は日本人最高成績だった事から、イギリスのボクシング雑誌に「イギリスにとって、ミドル級最大の強敵は日本の村田」と言わしめました。

この実績を高く評価された事で、2012年(平成24年)のロンドンオリンピックに出場し、実に48年ぶりとなる日本人初の金メダルを獲得。

 

一躍「時の人」となったものの、どこへ行っても「金メダルの村田」と呼ばれる事に違和感を覚え、翌2013年(平成25年)にプロに転向。

同年8月に有明コロシアムで、当時の東洋太平洋チャンピオンを相手に見事勝利するという劇的過ぎる勝利を飾ると、その後も怒涛の勢いで勝ち星を重ね、なんと無敗のまま「WBA世界ミドル級王者決定戦」に挑戦。

惜しくも判定で敗れてしまいプロ転向後初の黒星となったものの、試合内容自体は明らかに村田選手が優勢だった事から、試合後、WBA(世界ボクシング協会)の会長はこの両者を再戦させる意向を示しました。

王座獲得はならなかったものの、プロボクサーとしての村田選手のこれからの活躍にますます期待が高まります。

 

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2回目の密着で見えてきた「第2の竹原慎二」を目指すルーキーの素顔とは

ここまでご紹介してきたように、中学3年生の時からボクシングに打ち込み、プロ・アマ問わずほぼ負け知らず。

まさに「最強」と呼ぶにふさわしい戦績を収めている村田選手ですが、彼のその超人的な強さは一体どこから生まれてくるのでしょうか。

 

ありきたりな答えだと思いますが、やはり日々の練習をおいて他にはないでしょう。

 

村田選手はジムでの練習の他にも、体幹・初動負荷トレーニング、目の感覚を磨くビジョントレーニングなど良さそうだと思う練習を取り入れています。

そして、今よりさらに上へ上へを目指して試行錯誤を繰り返しています。

 

また、著名な哲学者や心理学者が書いた本を読み漁り、日常生活や戦いの場における心構えなどに役立てているんだとか。

全ては「強くなりたい!」という想いがあるからですが、もしかすると、「金メダリストなのだから勝って当然」や「チャンピオンになって当たり前」などという世間の声をはねのけるためという想いもあるのかもしれませんね。

 

さて、「強さ」に対してあくなき執念を持ち、ひたすらに追及し続けている村田選手。

以前この番組では、村田選手が東洋太平洋ミドル級王者に勝利するというアンビリバボーなデビュー戦を放送したのですが、あれから4年が経った今、彼は一体どんな事を考えながら練習に打ち込んでいるんでしょうか。

そんな村田選手の素顔が、今週日曜日に放送される情熱大陸にて明かされます。

2回目の密着取材で見えてきた村田選手の素顔と、今現在考えている事とは。

28日放送の情熱大陸をどうぞお楽しみに!!

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